石井隆研究家 日塔滋郎 プロフィール
※ジャケット写真は検討用デザイン(実際に発売されるデザインとは一部異なります)
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劇画【赤い教室】(1976)のラストカットがこの映画の最後で採用され、演出も石井の描いた構図そのままを忠実に再現すべく動いた。女優の演技を導き、客席に向けて大股を広げて絶叫するその姿に観客は息を呑み、男であることを恥じ入ってしばし沈黙した。突き抜け方の大きな仕上がりとなっていた。このジャケット画の後方にあるのは原形となった劇画のコマを復活させたものであるのだが、わたしがこの絵を見てふと感じ、また、それを介してほかの三枚を見直して余計に強く感じているのは今回の石井の瞳の描き方の特異性だ。
虹彩がへーゼルに染まり、真白い肌と相寄って独特の妖美さが溢れていて、こんな女性が目の前に現われたら自制出来ないだろうという恐怖がある。魅力というより魔力に近しいものがおんなの目に宿っている。虹彩以上に特に興味深かったのはそれに囲まれた瞳孔の小ささだった。4枚の絵ともに感じるのは、そこにおんなの肌の露出があり、大量の滴があり、長い髪があり、赤く燃えるような唇があるのだが、加えて油断のならない緊迫した気配がのっそりと漂っている点だ。その鍵になっているのがこの瞳孔の小ささと、ひやりとしたへーゼルの虹彩であるのは間違いない。
暗がりまたは屋内に置かれている設定からだろう、おんなたちの肌がより白く浮かび上がる。その顔も往時の【天使のはらわた】単行本を彷彿される工夫なのか、極端で異様なまでの白さなのだが、本来は明るい屋外などに刻まれるはずの小さな瞳孔がそこに描かれてあって、不自然且つ微かな変化が観る者に緊張をもたらす。結果的に、いや、おそらく石井はかなり意図的に計算を尽くしておんな達の胸中を緊張と怒りで充満させようとしており、それを酌んで瞳孔は微調整されたのではないか。どの絵のおんなも内部の深い淵にひたすら潜ってどんどん底の方に降りて行っている。
開かれたおんなの股のコアな部分には手前に配置された女性記者の横顔が置かれ、その髪がわさわさと広がっている。この手前の髪と後方にあるべき体毛が見るものの脳内で連結して、強力な妄想を立ち上げる。めくれたスカートの奥の奥から邪悪な蛇の様相を呈した妖女ゴーゴンの髪の毛の迫力と勢いでもって、黒々とした性毛がもさもさと果てなく湧いて出て来るような具合であって、実に悪魔的な絵柄となっている。
この映画の最後でおんなは狂ってしまうのだが、狂気の射出と豊かな毛髪の拡散するイメージを重ねて、魂の表土を染め尽くす黒い妄執がそれとなく描きこまれている。これは構図的にかなり狙ったところではないか。上の方に描かれたおんなのひゅるひゅると流れて広がる髪もまったくもって怪しく、猛烈に甘く薫って凄い。無数の体毛が世界を食い尽くそうと暴れている。
原画でしか確認は出来ないだろうが、手前の像で涙の痕を消したホワイトが薄っすらと認められる。この最終判断は正しいように思われた。正気の悲しみよりも狂気を刻印することが正解であることに石井は気付き、おんなの頬から涙を奪い去っている。この冷酷な差配こそが石井隆の持ち味である。