Random Talk #001

「石井隆監督との出会い」

  飯島 大介の場合

1982年8月、石井隆氏と相米慎二監督は、あの〜!あの〜横浜関内のアメリカ軍基地入口近くの撮影メッカと云はれて居る居酒屋「ポーラ・スター」で偶然、運命の出逢ひをして仕舞ふ。呼び寄せた映画の神様が、合ふべくして逢わせたのだ。
相米組は映画『ションベン・ライダー』の現場撮影、石井氏は映画『ルージュ』のシナハンで題材固めを進めて居たのだ。石井氏は正座して相米監督に挨拶したらしひ。
矢張り二人は持っているなぁ〜〜〜!
2ヶ月後、偶然、新宿ゴールデン街で再会、ぎくしゃくし乍らも、呑んだのだと。意気投合したと云ふとこか。
相米さんの口グセ「タコ!!タコ!!」何遍も何処に向けて発し叫んで居たのか?解らん。奴鳴りゃあしなひが、相米さんから出るのは、タコ〜!!だったとか。

月日は変はり、時間は未来に進んで行った。
相米監督と石井氏が組んでロマンポルノを撮る企画が2年越しで進んで居た1984年10月、映画『台風クラブ』の試写に招待されて、石井氏は映像を拝見されたんでせふね。
「今度の俺の脚本ね。止めよふよ」と断ったら、
直ぐに相米監督から「馬鹿云ってんじゃあ無ひよ!!駄目だかんねぇ、もふ!!」とピシャリ。

プロットに書かれた最初のタイトル『夜へ』は『昨夜寝た女』へ。そして更に!『ラブホテル』へと変はって行った。石井隆はね、ヘッドホーンにて音楽を聴き乍ら作品を進めるらしひ。それの方が筆が進められるし、涌いてくるんだね。この作品は山口百恵さんの『夜へ』を延々聴き乍ら書いた脚本ホンとか。

相米組の助監督・榎戸耕史は、以前からの知り合ひで、何処でとはすっかり忘れる程時代は過ぎてる。クランクインする『ラブホテル』に俺をチンピラにキャスティングして呉れた。ワンシーンだけ、チンピラの相棒が部屋で女をバックから突くと云ふシーンでドアー入口にぶらさがり、見張り役みたひな若造をった。この榎戸耕史はのちに監督に成るが、直ぐ桜美林大学の先生に成った。今はもう定年かな。

撮影は篠田昇だ。彼とは幻燈社で川上皓市氏の助手を何本もやって居た頃からの付き合ひだ。当時俺は東京演劇アンサンブルを辞めた頃。映像は自主映画を含めて、声が掛かれば率先して参加してました。昇とは何回か新宿で呑んで居ます。あっ、そふだ、この作品は篠田昇の撮影デビュー作品だ。昇が使っていた身体ごとに背負ふ“ステディーカム”は日本人の撮影者ではハシリの筈だ。兎に角、機材にはうるさかった様だ。本当に人間が好きと云うか、いつも笑顔で相手様には対して居ました。人も良すぎる程、多くのファンにも愛されたな。もふ昇氏は居なひ。この場を拝借し改めて合掌です。

色々と有って1985年3月、調布での映画『ラブホテル』打ち上げの日。
割烹料理屋に勿論石井隆作家は参上す。見も知らなひ方でしたから、助監督の榎戸に紹介をお願ひ致し、初めて石井隆さんにご挨拶させて戴きました。

この日から、石井隆監督との人生が始まりました。

映画『ラブホテル』は何か賞を貰ったですネ。
脚本、監督、スタッフ、配役と歯車が噛み合った名作だぞよ。

P.S.
時代が???ちんぷんかんぷんです。記憶違い*もあるでしょうが、何卒宜敷く御願ひ申し上げます。

大介拝 

* 注釈)
飯島大介さんの原文を基に、一部時系列について文献を参考に加筆補完しております。
参考文献:月刊シナリオ1985年9月号 (加筆:KICO)
タイトル写真は東京演劇アンサンブルを辞め、石井隆監督と出逢った頃の飯島大介氏。
(写真提供:映画屋倶楽部/オフィス・ガーラD)


Written by 飯島 大介  プロフィール