映画『死んでもいい』
WOWOW初放送★
勝手に協賛企画
死んでもいいとも放談
<その2>
WOWOWでの映画『死んでもいい』初放送に勝手に相乗りした
公式ファンサイト「石井隆の世界」の運営スタッフ二人。
WOWOW映画情報番組「映画工房」#617収録で話せなかった
裏ネタなど、ゆるめのトークが続きます。
石井監督から折にふれて聞いたお話や、映画『死んでもいい』の見どころなど
ファン目線でのおしゃべりに、引き続きお付き合いください。
次ページ、
石井隆ワールドを知るための10のワード。
つづきを読む
映画『死んでもいい』(1992)
WOWOW放送予定(2023.11.13初放送ほか)
斎藤工×板谷由夏
「映画工房」#617
オンデマンド配信(2023.11.17終了)
KICO
(Web連絡係)
ところで今回は「死んでもいいとも放談」というタイトルにしてみたんだけど、元ネタは判るよね。
はたぼー
(Web維持管理係)
石井隆監督が映画『死んでもいい』クランクイン前から公開当時に「シティーロード」という雑誌に連載していた「死んでもいいとも日記」にちなんで、パクリました。
KICO
パクリじゃない、ない。
私たちとしては石井隆監督のご遺志を少しでも受け継ぎたいと言う気持ちなんだから。
はたぼー
映画『死んでもいい』について、石井監督から折々に聞いてた話をいろいろと思い出しながら、ね。
KICO
で、WOWOWの映画情報番組「映画工房」#617観たよ。
14分番組の半分以上は『死んでもいい』に時間割いてもらってたよね。
はたぼー
実は、事前の打ち合わせでは歴代の台本を揃えて、その変遷を話したら制作スタッフの方々が興味を持ってくれて、本番で話すつもりだったの。
ボツネタだけど、ここで話していい?
KICO
石井監督にとってはこの『死んでもいい』、10年越しの映画化だったんだよね。
最初は東映セントラルフィルムとにっかつ撮影所が組んで映画を作るという企画だったとか…。原作は西村望さんが実在の事件をモデルに書いた小説『火の蛾』。そこに脚本家として指名されて脚色したのが始まりだったそう。
はたぼー
石井監督自身、まだ劇画家をしながらシナリオライターをされていた頃。
ご自身の原作モノではない初めての脚本で、ご自身の劇画や脚本に少し低迷を感じておられた時に来た依頼、次のステップに昇れるかの試金石だと思って書いたって、おっしゃってたと記憶してます。
KICO
70年代にピンキーvsロマンみたいな構図でポルノ映画をめぐって競ってた東映(セントラル)×にっかつのライバル同士が手を組むっていう、実現したらどんな映画になってたのかな。(※ちなみに当時は東映ピンキーという呼称はなかった)
脚本が上がって、盟友・池田敏春さんが監督に決まってたのに、諸事情で流れてしまった。
はたぼー
東映セントラルとにっかつのタッグでは、次に『ルージュ』も企画されたんだよね。監督はロマンポルノの名匠・西村昭五郎さん。こちらも実現したら、って思うけれど。
KICO
石井監督は、この時に流れた2本の企画が、後にどちらも企画が再浮上して映画化されたのは当時のにっかつ関係者の多くが台本の内容を知っていたので、企画開発が要らなかったからだよと、笑ってましたっけ。
はたぼー
企画に困った時に、穴埋めで手っ取り早く拾われたんだよって謙遜しておられたけれど、いつかこの企画を復活させようと思わせる力が台本に宿ってたんだろうね。
東映セントラルでは2本流れたけれど、その後に東映ビデオから『花と蛇』シリーズや『人人』で監督を依頼されたからね、東映マークとの奇縁もずっとつながってたんだよ。
KICO
『死んでもいい』に戻るけど、その後2回目に企画を復活させたのは相米慎二さん。『天使のはらわた 赤い眩暈』(1988)の後、石井監督は企画を出してもなかなか2本目の監督作品が撮れなくて、落ち込んでる姿に同情してくれたんだよって。
もともとアニメ映画『宇宙戦艦ヤマト』シリーズの西崎義展氏から「天使のはらわた」をアニメ化したいと石井監督にオファーが来た。話をしてみると実写映画も撮りたがっていて、石井監督が西崎氏に相米さんを紹介してたんだけど、逆に相米さんがこの企画を石井監督作品として持ち込んだのだそう。詳しい経緯は長くなるので、これくらいで割愛ね。
はたぼー
こうして進み始めた西崎版の時に台本のタイトルが原作の『火の蛾』から準備稿で『雨に頬よせ』と変わって、さらに決定稿では『死んでもいい』になってるのが興味深いところ。
KICO
ちなみに池田敏春監督に脚本提供してCXのTVドラマとして撮られた『夜に頬よせ』はこの時の準備稿『雨に頬よせ』とは内容がぜんぜん違う別作品なんでしょ。
はたぼー
そう。一部ネット上で混同している記述があるのは完全に間違いです。
台本『雨に頬よせ』は『死んでもいい』への進化途上の第二形態(笑)
KICO
で、東映セントラル版、西崎版、アルゴ版と台本を読み比べて、タイトルの他にどんな違いがあったの?
はたぼー
判りやすい違いは登場人物の名前かな。
東映セントラル版は原作通り。西崎版から主要人物の3人が名美、信、英樹に変わってる。
KICO
原作小説では、ヒロイン名は夕美だったのよね。
はたぼー
夕美じゃない…名美って呼んで。呼んで〜。
KICO
また、フリーク攻めのセリフをぶっ込んできたね〜。
それ、相米監督の『ラブホテル』のセリフね。
ご自身が相米さんの企画で自ら監督をすることになって、石井隆印の刻印を打ち込むように「名美」にしたんだ。
はたぼー
映画『ラブホテル』の脚本で名美の源氏名を「夕美」にしたのは『火の蛾』の脚本を書いた時に夕美の中に「名美」を見ていたからじゃないかな、と、今回台本を読んでみて、ふと感じた。今はもう、石井監督にその真意は聞けないけど。
KICO
相米さんつながり、というのも感じるね。
こういう因縁が石井監督の創作の力になっていく。
はたぼー
石井監督はヒロインが「名美」って名前が変わるだけで、ぐっと気分がノって来るからね。
KICO
「名美」に変えた時点で、今回こそは成立させるぞと、並々ならない覚悟があったんじゃないかな。
はたぼー
だけど、西崎版もクランクイン直後に流れてしまった。
KICO
「流れた時に松田優作さんが亡くなった新聞記事が寂しく目に飛び込んできた」って、当時の話をするたびに聞いたよね。
はたぼー
松田優作さんもそうだけど、石井監督が70年代に劇画家として第一線で活躍していた頃に別分野の第一線で活躍した方々とか、ご自身と同じく80年代以降に異分野からいきなり映画監督になった方々に、時代の同志というか、何かとシンパシーを感じておられたという話を聞いたりしたなぁ。
KICO
3回目の企画はさらに一年後。再再浮上したアルゴ版も当初はディレクターズ・カンパニー(通称・ディレカン)製作でクランクインしたんだよね。
監督オファーがあった時、すでにディレカン側で大竹しのぶさんと永瀬正敏さんのキャスティングは決まってたって、監督から聞いたよ。
ところが撮影途中で倒産してしまって、撮影費やギャラも出ないまま撮影現場が路頭に迷ったトコロで、当初は配給だけだったアルゴが製作を引き受けてくれたと。
はたぼー
三度目も転んで、四度目の正直って、か。
メジャーに対抗して日本映画に風穴を開けるような企画を実現させるために独立系の製作会社が集まって立ち上がったのがアルゴ・プロジェクトで、その一社として参加していたディレカンが、プロジェクトの一本として撮影が始まった途中での頓挫と製作続行なんだよね。
KICO
また脱線してる。台本の読み比べの話に戻そうよ。
はたぼー
ごめん、ごめん。
ま、大筋は最初の東映セントラル版のストーリーから変わってなかったよ。舞台は東映セントラル版では都内想定で、大月になったのは西崎版から。
KICO
ラストシークエンスの地震も最初からあったの?
はたぼー
うん、入ってる。なんだかんだあって人生行き止まりまで詰んだ時に地震がグラグラって、劇画作品の頃からいくつか見られるシークエンスだよね。
人の犯す罪や地獄めぐりの沙汰なんて、所詮ちっぽけな所業だという感じで。
KICO
先月出ていた、キネマ旬報2023年10月号の恋愛映画特集で『死んでもいい』について脚本家の港岳彦さんが「神への畏れ」という言葉で言及しておられたけど、神の視点というかね。
当時の「死んでもいいとも日記」を読むと石井監督が演出意図に「人間存在にとっての愛のありかと神の存在について」という言葉を記しているんだよね。
はたぼー
あと、最終的に特に変わっているといえば、電車車内のオープニングシーン。
西崎版の準備稿『雨に頬よせ』までは信が乗ってきた電車が人身事故で突然止まり、行き当たりばったりで降りた街で名美と出会う。
完成した映画と同じ描写になったのは『死んでもいい』とタイトルが変わった西崎版の決定稿だった。
KICO
駅前で名美と信がぶつかる、あのタイトルバックは?
はたぼー
そこも同じく西崎版の決定稿から。
ホームを歩く信の向こうで、隣のホームに名美も歩いていて、改札口を通って駅前で二人がぶつかるまでのワンシーン・ワンカットがすでにト書きで書いてある。
KICO
あのシーンは石井監督の中では台本の段階で撮り方まで出来上がっていたんだね、きっと。
とすると、『死んでもいい』というタイトルに決まった時に作品のイメージが細部までバチバチっと固まったのかも知れないよね。
はたぼー
ヒロインの名前が「名美」になるだけで、ギアが一段上がった感じだぁ。
くしくも成立するまでの10年という歳月が、シナリオをじっくりと熟成させたのかも。
KICO
石井監督、物語のモデルになった被害者のお墓参りに行こうとしてたって、話も聞いたよね。
はたぼー
企画が何回も流れるのは、原作小説の実在モデルの方がまだ成仏できてないんじゃないかと。
KICO
原作者の西村望さんを通じて、お墓参りができないかと調べてみたそうだけど。
はたぼー
墓参りは断念した。
当事者の方の社会復帰とか、ご遺族のご事情やご心情とかを考えるとね。
KICO
石井監督は亡くなった人の魂の在処を考えるような人だったから…。
はたぼー
故人に対して、決して興味本位のゴシップネタとして映画にするのではなく、純粋な愛のドラマとして取り組むことを御霊前で伝えたかったのだろうと思うんだ。
KICO
そうだね。
それでせめてもの鎮魂に、奥様と二人で完成した台本を持って、神社にお祓いに行ったとおっしゃってた。
はたぼー
そのおかげかどうか、やっと映画が成就したわけだ。
KICO
当時石井監督は「誰もが憎み合わない三角関係が成立するのかどうかというテーマを描きたかった」と言ってました。
はたぼー
名美をめぐる二人の男の、愛ゆえのストイックさと優しさが、これまでになかった三角関係の有り様を成立させているよね。
かつての劇画作品でもね、単なる愛憎だけでは語れないような名美をめぐる三角関係のカタチを描いているんだよね。『緋の奈落』(1976) の健三と征夫とか、『天使のはらわた』第3部(1979) の村木と貞国もそう。いや、貞国からしたら、村木をめぐる名美との三角関係かな。
KICO
さらに遡ると劇画家としての初期作品は、いわゆる事件モノ、三面記事に載っている下世話な痴情バナシやゴシップをネタにした劇画を出版社からの依頼に応じて描きながら、作家としては興味本位で女と男の関係を見ていない、どこか異色な作品群だったけど、そういう眼差しはこの映画にも出ていると思った。
はたぼー
世の中から後ろ指を指されて、冷たい視線で卑下されるような男女関係にも、純粋な愛の在処を見つめるようなね。
KICO
そういう問いかけが、この映画にも、結論を観る人に委ねるラストシーンに表れている。
はたぼー
人が人を愛することのどうしようもなさ、だよね。
KICO
石井隆映画はすべて、人が人を愛することのどうしようもなさ、についての物語なんです。
はたぼー
まとめたねぇ〜、お粗末さま!
KICO
で、これがはたぼーが番組の中で紹介しようと思ってたこと?
はたぼー
お祓いとかのくだりは省いてね、台本の変遷を番組の中で紹介しようと準備してたわけ。
KICO
出演枠は14分ショート番組の半分でしょ、そんなに話せると思ってたの?
映画の見どころという本筋から外れてるし。
はたぼー
ま、そうだけどさ。限られた放送時間の中で1秒でも長く『死んでもいい』の紹介時間に当ててもらえたらとね。
KICO
番組では披露できなかったハナシも、これでやっと成仏できるってか。
はたぼー
実は成仏させたい話がもう一つあってさ。
三角関係でいうとね、この作品のシナリオは石井隆自身の名美をめぐる脳内三角関係じゃないかと思うんだけど。
KICO
あらぁ…なんか変なこと、妄想してるでしょ。
はたぼー
喘息持ちの信 って、子供の頃から喘息の持病があった石井監督自身の境遇に重なるよね。
KICO
かも知れないけど、監督からそんな言及は聞いたことないぞ。
はたぼー
名美の夫の名前は英樹だよ。漢字は違うけど、読みは石井監督の本名と同じ。これって偶然かな?
KICO
結局、何が言いたいのよ?
はたぼー
石井監督はね、シナリオを書きながら三角関係に見せかけて、老若二人の自分自身を投影させて、名美への愛を独り占めにしてるんじゃないかと、思うわけ。
KICO
ま、その答えはあんたが何十年か後に成仏できたら、天国で石井監督に会って聞いてみればいいんじゃない。
はたぼー
なんだよ、もう少し面白がってくれると思ってたんだけど。
KICO
成仏させないといけないのは借りてた台本、だったでしょ。
はたぼー
実は西崎版の準備稿『雨に頬よせ』の台本だけは持ってなくて、
石井隆研究家の日塔滋郎さんにお願いして、この番組のために現物をお借りしてたのです。
それなのに番組で1秒も写せなくて、この場を借りてお詫び申し上げます。(タイトル画像に載せました)
KICO
すべて丸く収まったところで、実際に番組で披露したトークの出来は?
はたぼー
もうイヤ、早く済ませて…
もうこれっきりにしてね〜ッ、
みたいな。
KICO
結局最後も、セリフネタでしたね…。