
室田日出男と、
石井隆と、
映画『死んでもいい』
のこと。
By 飯島 大介
映画『死んでもいい』初ブルーレイ化によせて。
石井組常連俳優・飯島大介氏からの寄稿が届きました。
(1946.07.11 - 2022.05.22)
映画監督・劇画家・映画プロデューサー
劇画家時代
1946年、宮城県仙台市出身。早稲田大学商学部卒。
子供の頃から油彩画を描く映画少年で、将来は映画監督か画家を志望。高校時代に愛読していた映画雑誌『映画芸術』で知った早大映画研究会に入るために早大入学、アルバイトで日活末期、ダイニチの『涙でいいの』(1969)の撮影現場で監督助手を体験するも日活撮影所のセットの土埃で持病の喘息が悪化、一日現場を休んだのを苦にし、また騒乱の時代に悩み、映画の道を断念。直後に小学校時代の初恋の女性と結婚。在学中から生活のために三流雑誌の雑文書きのアルバイトをする中、画力を活かして、落ちた原稿のピンチヒッターとして描いた8ページの劇画に他誌から注文が舞い込み、いつしか劇画が生活の糧に。キャリア初期は出木英杞、堀井延満などのペンネームで実話誌、SM誌を主に短編劇画やカットを描いていた。“石井隆”のペンネームを命名したのは創刊号から表紙を飾った「劇画・人生ドラマ」(1972)の編集長。『蒼い馬I』(1974・北冬書房)に採録された『埋葬の海』が当時劇画ブームを牽引していた人気青年誌「ヤングコミック」(少年画報社) 編集者の目に留まりオファーの電話が入る。同誌専属作家となると従来描かれてきた女性像をパラダイムシフトさせたエポックとして劇画界に衝撃を与えることになる“名美”を主人公にした作品群を連作して熱狂的な話題を集め、ついに長編連載『天使のはらわた』三部作(1977-1979)を発表。劇画という機構の中にリアルな細密描写や映画のカット割と見紛うような連続描写、ローアングルから対象を捉える構図などを押し込めることで独特のエロティシズムを発現。そこから滲み出したのは時代に対峙した独特の女性観であり、当時の学生たちの支持のみならず、数多くの文化人、評論家たちの評論の対象となっていく(『石井隆の世界』1979・新評社はじめ多数)。これを機に石井隆の名は一躍時代を代表する作家として広く世に知られ、終生にわたる“石井ワールド”に繋がっていく。
脚本家、映画監督へ
そんな話題性をいち早く掬い取る行為として現れたのが、『天使のはらわた』(1978)の映画化だった。同作には先ず東映から映画化のオファーがあり、三日後ににっかつロマンポルノからオファーがあった。東映は子供の頃からの大ファンだったが、ロマンポルノに関しては、当時、担当編集者から自作の劇画と良く似たシーンが一杯ある映画という認識しかなかった。しかし、“最初期の頃からの劇画やイラストのファンです”というにっかつの若い企画担当者の熱意にほだされてにっかつに決定。『天使のはらわた』シリーズは当時、多種多様な才能をロマンポルノという形で昇華させていたにっかつのひとつの看板作品となり、2作目の大ヒット作『天使のはらわた・赤い教室』では石井隆自身が脚本家としてデビュー。以降、劇画家として活躍するかたわら、多数のシナリオを執筆し、10年後の1988年には『天使のはらわた・赤い眩暈』で少年の頃からの夢だった映画監督デビューを果たす。北野武をはじめ、今でこそ当たり前になっている異業種監督だが、徒弟制度で助監督から監督に進む道しか無かった映画界では“いきなりの監督”という当時は非常に珍しい存在であり、それ故に現場での風当たりやスタッフとの軋轢も強く、孤立を強いられながら完成させ、結果、“扱い辛い監督”として多くの伝説を残すことになったという。
海外からの注目
以降、一般映画デビューとなった『死んでもいい』(1992)『ヌードの夜』(1993)『GONIN』(1995)など、映画界はこの異端の新しい才能の誕生に涌き、国内外の映画祭に招待され、受賞した記録を持つ。特に初のメジャー配給作品となったオールスターアクション映画『GONIN』は、その際立った演出で国内では“日本のアクション映画を変えた作品”、海外では、後のハリウッドや韓国、香港ではいくつものエピゴーネンを生むほどのインパクトで登場。コッポラおよびウエイン・ワン監督(『スモーク』)がアジア六カ国から若手監督一人ずつを選んで競作するプロジェクト『クロームドラゴン』では日本の代表監督としてオファーを受け、さらにスティーブン・ソダーバーグからは松竹を通して『GONIN』のハリウッドリメイクの要望が届いた。松竹の体制の急激な変化のためそれぞれのプロジェクトは未成立に終わったが、国を越えたリメイクの話題が多々ある中、エンタテインメントアクションの本場・ハリウッドが、敢えて日本のアクション映画に注目したという点で、日本映画のワールドワイド展開の新たな可能性として日本映画史の記憶に残るエピソードと言える。これらの動向からも顕著なように特に海外では、その斬新でスタイリッシュな映像美とアクション、ドラマツルギーの巧みな融合を実現した鬼才として高い評価を得る石井隆。タランティーノが注目する日本映画監督のひとりとしてその名を上げるのも、『GONIN』以降に製作されたノワールへのリスペクトを象徴する事例として付記しておく。
唯一無二の世界観と美学
1997年には制作プロダクション(有)ファムファタルを設立。『黒の天使vol.1』『黒の天使vol.2』『フリーズ・ミー』『花と蛇』『花と蛇2パリ/静子』『人が人を愛する事のどうしようもなさ』『ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う』『フィギュアなあなた』『甘い鞭』『GONIN サーガ』を製作協力。
宣伝戦略面ではデジタル撮影素材の応用範囲の広さに着目し、電波媒体に頼らないゲリラ的なクロスメディア展開を牽引した手腕も特筆したい。業界に先駆けてインターネットの活用を試みた『花と蛇』では公式ウェブサイトにおいて、団鬼六の異形の世界を映画本篇用ムービーカメラ2台で捉えたデジタルHD全映像を劇場用作品とは別に石井隆自ら再編集し、ウェブ上のポルノサイトで見るギャラリーツアーに擬した趣向で、劇場公開前から惜しげもなく有料配信コンテンツとして5ヶ月間にわたり毎週3本ずつ万華鏡のように連続配信するという前代未聞のプロジェクトを敢行。まだインターネット普及途上で動画配信など常識外だった時代にもかかわらず、配信初日夜11時の解禁時間に1秒間200アクセスという驚異的な数値を叩き出したことを皮切りに週末ごと更新するたびにサーバーダウンを繰り返すほどの爆発的な人気を呼ぶ。どこを抜き出してもインパクト抜群の本篇ヴィジュアルは雑誌媒体でもどこかの週刊誌を開けば毎週のように袋とじグラビアをジャックする勢いで席巻。何週にもわたって大手週刊誌、写真週刊誌が競って取り上げるなど世に言う“ハナヘビ現象”を巻き起こすと、シリーズ2作の劇場公開への強力な動員力を産み、SMポルノ映画への偏見に対峙した怪作として大ヒット。東映のビデオ販売の歴史を塗り替え、エロスブームの火付け役的影響力を持ったことも記憶に強く刻まれる。次に“ハナヘビ現象”を超えるべく、何本もの企画や脚本が浮かんでは消え、“石井ワールド”に回帰する形で成立した『人が人を愛する事のどうしようもなさ』は“名美”を主人公とした最後の映画作品となる。
晩年、2013年に連作された『フィギュアなあなた』『甘い鞭』では独自の映画的世界観はますます強度を増し、エロスとタナトスの極致をスクリーンに提示した。そして遺作『GONIN サーガ』では前作から19年の間に紡がれる因縁を苛烈なほどのハードボイルド・バイオレンスに昇華させ、より一層の異彩を放った。その後、いくつかのオファーを受けて次回作の構想を進めながら、いずれも実現に至らなかったことが惜しまれる。
自らの病を周囲に隠して闘病の末 2022年5月、雨の夜、静かに歿す。最期まで自身の美学を貫いた生涯だった。(文責:KICO)
生き抜いた日数
携わった映画の総時間(秒)
(*Filmography掲載作品の秒数合計)
劇画で紡いだ総ページ数
(*劇画単行本のページ合計)
生涯愛した女性は…名美一人
つれづれにアップデートする記事やコンテンツを紹介します。
死んでもいいとも放談
初号ファンサイトの復刻について
『石井隆の世界』(以下、当サイト)は、映画監督/劇画家・石井隆のオフィシャルファンサイトです。
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